86. 終業式と憎い春休み
小学校の三学期の終業式は体育館で行われると聞き ホームルームだけ 参加した。
体育館で長時間立っている事は長女
長女
と落ち込んでいたが、私にとっては 成績表を直接貰えた事が 嬉しかった。
早々に帰宅する長女
担任の先生「のどか! また 始業式に 待ってるよ!」
声を掛けて下さった。
長女
小さな 小さな声で 答えていた。
麻痺が進行してもう 小さな声しか出せなかったのです。
私は 涙を堪えきれなかった。
抗がん剤の効果で若干改善された長女
短い春休みだが、新学期に長女
春休みが憎かった。
長女の手帳3月に書かれていた事(黒ボールペンは私が書いた)
87. 桜を探して
抗がん剤のラステッド💊 が 2クール目に入ったのに 長女
長女
そして 常に なぜ 長女なのだろう。なぜ長女が脳腫瘍になってしまったのだろう。
なぜ私ではないのだろう。代われるものなら 代わりたい そればかり考えていた。
抗がん剤を 2週間 飲まない期間があったので、
2週間経ったら また 長女
そう信じたかった。。。
しかし 長女は 部屋の中の移動もままならず、ニンテンドーDSも出来ない程 右半身の麻痺が 進行していた。
そして
多量の ステロイド剤による 浮腫みも酷く 座っているのさえ 辛そうだった。
朝起きて ソファーに座って テレビを見る。
それしか出来ず 毎日 つまらなそうにしていた。
長女
短いはずの春休みが 途方もなく 長く感じられた。
4月1日 日曜日
車で20分程の 長女
広い公園なので 車椅子♿️に乗り ポカポカ陽気の中で長女
桜の木が沢山あったので 一輪でも 咲いていないか あちこち探した。
蕾は膨らんでいたが 一輪も 咲いていなかった。
長女
翌日
長女
先日 長女が大好きだった公園に行ってきました。
88. そして再入院
長女
Y医師👨⚕️「入院の準備をして 病院に来て下さい。 慌てず ゆっくりで大丈夫ですよ。」
Y医師👨⚕️は 本当に いつも優しかった。
慌てず と言われても やはり 焦っていた。
水も飲めないと ラステッド💊(抗がん剤)も飲めない。
長女
急いで 入院の準備をして 長女
4月3日
春の嵐が吹き荒れて 黄砂の為に 数メートル先の視界も 遮られる程だった。
病院に着いて 診察して貰い 入院になった。
点滴で水分と栄養を補給して貰い 食事は 食べられるものを 無理のないように と言われてた。
長女
院内学級も春休みだったので 新学期が始まるのを 楽しみにしていた。
ただ 黄砂が吹き荒れる中 病院に行った為 右目の眼球に 埃がくっついてしまい
長女
目薬で洗うほど 目薬を差したが 埃は取れなかった。
既に 右目の瞼は 麻痺の為に 完全に閉じることが出来ず 常に乾燥してしまっていた。
自宅でも 目薬をさしていたが 病院へ行く際 慌てていた為に 右目の瞼が閉じなくなっていた
長女
本当に 申し訳なかった。
体のあちこちが 不自由になっていくなかで 私の不注意で 更に 長女
入院して 安心して眠る長女
翌日 桜🌸の開花宣言を聞いた。
麻痺が進行していた長女
長女の手帳4月に書かれていたこと
89. つらい決断
再入院して数日後 主治医の先生に呼ばれた。
夫
夫
Y医師👨⚕️「お嬢さんに 治療として出来る事は もう ほとんど ありません。
あとは 苦痛を取り除くことが 主体になります。 家に帰るなら今ですが どうしますか?」
長女
脳幹部グリオーマの 日本で 数少ない 専門医に もう何もできないと言われた。
余りのショックに 言葉が出なかった。
抗がん剤のラステッド💊が それほど 効果が出ていない事は 薄々気づいていた。
Y医師👨⚕️「抗がん剤で もう一種類 テモダール💊という薬がありますが 飲んでみますか?」
夫
Y医師👨⚕️「そうですね」
夫
Y医師👨⚕️「わかりました…。では 万が一の時は延命処置を希望しますか?」
夫
Y医師👨⚕️「わかりました…。全力で お嬢さんの苦痛は 取り除きますので。」
親が 最愛の我が子の
命の選択をする。
命の期間を決める。
こんなにも 悲しい事はない。
カンファレンスルームで 夫と号泣した。
泣いたところで 何も変わらないことはわかっていた。
でも長女
そして 私たち夫婦は ある決断をした。全ての望みを託して。
山奥の病院の周りは 桜🌸が満開で 陽の光が当たって キラキラ輝いていた。
病院🏥の中にいる私たちと 外の世界は 遠い遠い 別世界のようだった。
桜🌸ではないですが お花💐って 癒されます。