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長女のこと 115~121:生きていてほしかった

115. 吸引 (5月9日~12日)

5月9日
朝、顔が浮腫む
日中、体調悪い。意識があまり。
make a wishさんが来る
夜、看護師さんが痰をいっぱい取ってくれスッキリ

5月10日
日中、落ち着く
洗髪中も安定
寝て、夕方起きて、ゼロゼロする
夜、呼吸がヒーヒーいって苦しそう。当直医が診てくれた

5月11日
右側しか向けなくなる(右側の気管支が麻痺して、麻痺していない左側の気管支を上にしないと呼吸が出来なくなった)
朝、自力で咳をして痰が出た!スッキリ!
栄養を点滴にしてもらい右足のカテーテルから入れてもらったので、ゼロゼロが減る(経管栄養を辞めたら痰が減った)

5月12日
洗髪
寝ている時間が多いが、しんどくなさそう(呼吸が苦しくなさそう)

この頃には一日中、長女の痰を吸引していた。
取っても辛そうな顔の、取らなくても辛そうな顔の長女をただただ見守るしか出来なかった。
でも長女の痰が絡みゼロゼロしてくると、長女が“ママ 苦しいよ。痰取って”そう言っているように私には聞こえていた。

私は必死だった。長女の呼吸を確保する為に。

116. 幼い次女と長男の変化

長女の病室に来た次女は一ヶ月ぶりに長女と 私に会えた事が嬉しくて、とてもはしゃいでいた。

次女お姉ちゃんなんで 寝てるの??
私「具合が良くないから、お薬いっぱいしてるのよ。」
次女ふーん。なんでいっぱいホース付いてるの??

長女の体に沢山付いている管が不思議だったのだろう。
間も無く 3歳の誕生日🎂を迎える幼い次女には、長女の状態は理解出来なかった。

めいっぱいはしゃいで、めいっぱい私に甘えて、笑顔で
次女じゃあね!」と帰っていった。

次女は幼いながら沢山我慢をしていたと思う。
それでも早く帰って来てね!とは言わなかった次女
幼いなりに長女のただならぬ状態をわかっていたのかもしれない。

そしてこの日一緒に来ていた長男は全く喋らなかった。
いつもお喋りな長男の変化にもっと早く気づいてあげられていたら。

帰宅したら玄関に貼ってありました。
怖がりの三女が保育園で作った鬼👹
全然怖くないですね!

117. 最も嬉しく最も悲しい プレゼント(5月13日)

5月13日   母の日
長女と看護師さんから 母の日のプレゼントにカードをもらった。

私がコンビニに行っている間に 長女の指でお花🌸の模様を描いて
長女の手を握って一緒に書いて 母の日にサプライズプレゼントして下さった。

驚きと嬉しさと看護師さんの優しさに涙が止まらなかった。

それと同時に 長女には
もう自分では動けないという事を
もう “お母さん”と呼んで貰えない事を 痛感した。

とても嬉しくてとても悲しいプレゼント
今でも宝物です。


長女の手を握って看護師さんが書いてくれた

118. すこしずつ (5月15日~18日)

5月15日
洗髪
右手が不自然に動いてしまう

5月16日
抗痙攣剤 増える
夕方 急いで入浴

5月17日
AM 時折 呼吸が苦しそう
PM  max呼吸が苦しそう
血圧 急降下 急上昇(不安定) 熱 38,3℃ 瞳の反射も悪い
※この頃には 生命維持が 難しくなってきていた。

5月18日
朝の回診時 主治医から「辛い状態で 本人が頑張っている」と言われる。

長女が 万が一の時には延命措置をしないと夫と決めていたので、呼吸が苦しそうな長女を見て 痰を吸引して長女の呼吸が苦しくならないよう 必死だった。

119. 生きていてほしい

万が一の時は 延命措置をしない と決めていた。

長女の呼吸が止まってしまったら・・・
考えるのが 怖かった・・・
娘を失うのが 怖かった・・・
娘を 失いたくなかった・・・
生きていて 欲しかった・・・

でも もう 瞼さえ 自分で動かせない長女を見て
“生きていて欲しい”と思うのは 親のエゴではないか?”
私は 混乱していた。

こんなにも 苦しそうな長女に “それでも 頑張って 生きて!” と 言えなかった。

しかし 私には “もう 十分頑張ったよ” とは 言えなかった。

私が 長女の痰を必至に吸引することで 長女の苦しい時間が 長くなってしまっているそう わかっていた。

それでも痰を 必至に吸引していた。
娘に 生きていて欲しかった

今 息子のお気に入りのレゴ
当時の私の心も 葛藤していた

120. もう少し早く(5月19日~20日)

5月19日
発作の様に 10分おき位で 呼吸困難になる。
夜 両手・右足が痙攣し、ダイアップ(抗痙攣薬)後 久々に静かに朝まで寝た。

5月20日
早朝
痰を引いてる時に サチュレーションが 50台に!! 慌て 吸引を辞めたら 大丈夫だった。
洗髪後 アイスノンで(頭を冷やすと) 超静かに ずっと寝ていた。
PM
ゼロゼロ 痰が絡んでいた
ドリカムライブ 当日

長女の望みのひとつであった「ドリカムのコンサートに ママと一緒に もう一度行きたい!」を叶える為に make  a wishさんが取ってくれたドリカムのコンサートには、
体調が悪い長女を連れて行かれなかった。長女の夢は叶えてあげられなかった。

私の兄のお嫁さん(義姉)二人に 代わりに行って貰い
電話で ライブの曲を 長女と聴いた。

長女が大好きな
♫何度でも♬
を 電話越しに聴いた。

♬こみ上げてくる 涙を何回 拭いたら    伝えたい言葉は 届くだろう♫

歌詞を聴きながら、会場で聴かせてあげたかった  という思いと
もっと早く長女に 
愛してる!産まれてきてくれて ありがとう!
そう 伝えれば良かったという後悔が 次から次へと 溢れた。

そして長女を妊娠中🤰8か月の時に ドリカムのコンサートに行って
お腹の中で長女が元気に動いていた感覚を思い出した。

あの時も 長女と2人だったが 全く違う世界にいる気がしていた。

121. 苦悩 (5月21日~23日)

5月21日 金環日食
昨夜から手に力が入りぎみで痙攣のため早朝に手が動き 9時頃 坐薬使用。力が抜けきらない様子。
PMサチュレーション50台
呼吸が辛そうだけどよく頑張っている。
この頃には脳幹部の生命維持に繋がる神経が癌細胞に侵されていたため生命を維持することが難しくなっていました。

5月22日明け方
再度サチュレーション50台。
深夜勤務の看護師さんが痰をこまめに引いてくれたので、朝まで気づかなかった。

5月23日
起床時から超ゼロゼロ痰が絡みヒーヒー呼吸が苦しそう。
PM3時頃やっと落ち着く。その後朝まで寝ていた。

手帳に書いてあったメモは5月23日が最後です


生きようと必至で頑張っている長女
『頑張って』とも『もう十分だよ』とも言えず、
なんて声を掛けたら良いかわからなかった。

★★★★★ブログ管理者 ホットブレイク★★★★★
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