長女のこと:生きていてほしかった

103. 姉にあって何かを感じた長男

長女おねがいと歳が4歳離れている息子ニヤリは 平成24年5月当時5歳半だった。

しっかりした長女おねがいにのんびりしている息子ニヤリは いつも色々お世話して貰っていたので、自由にのびのび弟として育っていた息子ニヤリ

でも
長女おねがいが居なくなってしまったら 我が家の兄として 生きて貰わなければいけない。

おねがいが生きる為に 必死で頑張っている姿を 見ておいて欲しかった。

一生懸命生きようと頑張っている姉の姿を。

長男ニヤリは長女おねがいの病気がわかる前は いつもいつもおちゃらけて 皆を笑わせていたし、
長女おねがいが発病して 私と長女おねがいがある日突然入院してしまった後も 戸惑いを隠す為におちゃらけていたように思う。
長女おねがいの一時退院の時も いつも以上におちゃらけていた。

長女おねがいは病院🏥の個室に入院していたが、状態が厳しかったのでゴールデンウィークに息子ニヤリを病室に連れてきて貰った。

あの日 長女おねがいの病室に入る瞬間までおちゃらけていた長男ニヤリは 一ヶ月前と別人のように具合が悪そうな姉おねがいを見て表情が一変した。

5歳半の息子ニヤリは 姉の姿を見て何かを感じたのだと思う。
それ以降 お喋りな息子ニヤリが ずっと 黙っていた。

今思えば 長男ニヤリはあの日以降笑わなくなっていた。
正確には笑えなくなってしまったのかもしれない。

あの日以降 長男ニヤリは作り笑いをしていた。

帰宅した後私の母👵 「お姉ちゃん 頑張ってた?」
息子ニヤリうん・・・。
私の母👵「お姉ちゃんも お母さんも早く帰って来てくれるといいね」
息子ニヤリ・・・・・・。お姉ちゃんはもう帰って来ない・・・。

そんな会話をしたと 私の母から後日聞きました。
5歳の小さな心で 色々な事を考え理解しようとしていたようです。

そんな息子の 小さな心の変化に気づいてあげる事も 寄り添ってあげる事も当時の私には出来なかった。

ホットブレイク写真です
三女にとって レッグウォーマーは
お人形さんにぴったりの布団のようです😁

104. 最も嬉しく最も悲しい プレゼント

5月13日   母の日
長女おねがいと看護師さんから 母の日のプレゼントにカードをもらった。

私がコンビニに行っている間に 長女おねがいの指でお花🌸の模様を描いて 長女おねがいの手を握って一緒に書いて 母の日にサプライズプレゼントして下さった。

驚きと嬉しさと看護師さんの優しさに涙が止まらなかった。

それと同時に長女おねがいはもう自分では動けないという事をもう “お母さん”と呼んで貰えない事を痛感した。

とても嬉しくてとても悲しいプレゼント
今でも宝物です。


長女おねがいの手を握って看護師さんが書いてくれた

105. すこしずつ

5月15日
洗髪
右手が不自然に動いてしまう

5月16日
抗痙攣剤 増える
夕方 急いで入浴

5月17日
AM 時折 呼吸が苦しそう
PM  max呼吸が苦しそう
血圧 急降下 急上昇(不安定) 熱 38,3℃ 瞳の反射も悪い
※この頃には 生命維持が 難しくなってきていた。

5月18日
朝の回診時 主治医から「辛い状態で 本人が頑張っている」と言われる。
長女おねがいが 万が一の時には延命措置をしないと夫と決めていたので、

呼吸が苦しそうな長女おねがいを見て 痰を吸引して長女おねがいの呼吸が苦しくならないよう 必死だった。

106. もっと少し早く

5月19日
発作の様に 10分おき位で 呼吸困難になる。
夜 両手・右足が痙攣し、ダイアップ(抗痙攣薬)後 久々に静かに朝まで寝た。

5月20日
早朝
痰を引いてる時に サチュレーションが 50台に!! 慌て 吸引を辞めたら 大丈夫だった。
洗髪後 アイスノンで(頭を冷やすと) 超静かに ずっと寝ていた。
PM
ゼロゼロ 痰が絡んでいた
ドリカムライブ 当日

長女おねがいの望みのひとつであった「ドリカムのコンサートに ママと一緒に もう一度行きたい!」を叶える為に make  a wishさんが取ってくれたドリカムのコンサートには、体調が悪い長女おねがいを連れて行かれなかった。長女おねがいの夢は叶えてあげられなかった。

私の兄のお嫁さん(義姉)二人に 代わりに行って貰い 電話で ライブの曲を 長女おねがいと聴いた。

長女おねがいが大好きな
♫何度でも♬
を 電話越しに聴いた。

♬こみ上げてくる 涙を何回 拭いたら    伝えたい言葉は 届くだろう♫

歌詞を聴きながら、会場で聴かせてあげたかった  という思いと
もっと早く長女おねがいに 
『愛してる!産まれてきてくれて ありがとう!』
そう 伝えれば良かったという後悔が 次から次へと 溢れた。

そして長女おねがいを妊娠中🤰8か月の時に ドリカムのコンサートに行って お腹の中で長女おねがいが元気に動いていた感覚を思い出した。

あの時も 長女おねがいと2人だったが 全く違う世界にいる気がしていた。

107. 生きてほしい

万が一の時は 延命措置をしない と決めていた。

長女おねがいの呼吸が止まってしまったら・・・
考えるのが 怖かった・・・
娘を失うのが 怖かった・・・
娘を 失いたくなかった・・・
生きていて 欲しかった・・・

でも もう 瞼さえ 自分で動かせない長女おねがいを見て “生きていて欲しい”と思うのは親のエゴではないか?”
私は 混乱していた。

こんなにも 苦しそうな長女おねがいに “それでも 頑張って 生きて!” と 言えなかった。

しかし 私には “もう 十分頑張ったよ” とは 言えなかった。

私が 長女おねがいの痰を必至に吸引することで 長女おねがいの苦しい時間が 長くなってしまっているそう わかっていた。

それでも痰を 必至に吸引していた。
娘に 生きていて欲しかった

今 息子ニヤリのお気に入りのレゴ
当時の私の心も 葛藤していた

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