99. ブログの内容とこのころの私のこと
長女の状態はどんどん悪くなってしまいます。現在闘病中の方や心の元気が減っていらっしゃる方は閲覧注意でお願い致します。
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私は最後の希望が絶望的になった時、あまりのショックに心が自己防衛反応を起こしたようです。
闘病時のことをあまり覚えていなかったのですが長女の手帳にメモしていた事を見て色々な事を思い出して、ブログに書いています。
4月頃までのことは鮮明に思い出したのですが、5月以降のことはメモを見ても思い出せない事が多いです。
思い出せた事のみ書かせて頂き、それ以外はメモをそのままブログに書くという形にさせて頂こうと思っております。ご了承頂けましたら幸いです。
100. 手帳の書かれていたこと
手帳に書かれていたメモ📝は後ほど貼りますが、読みづらいと思いますので記載させて頂きます。
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5月1日
朝、サチュレーションの数値が下がり酸素マスク(を着用する)
日中は安定
夕方、ゼロゼロ(痰が絡んでいた)
お風呂入る
5月2日
貼り薬(魔薬)2倍に(なる)(医療用大麻)
車椅子で院内学級へ
一日中、ゼロゼロ(痰が絡んでいた)
算数(院内学級の先生が病室で教えて下さった)
5月3日
抗痙攣薬が倍になる
洗髪中目ぱっちり(開いていた)
昼、吐く。その後うとうと(寝ていた)
この日息子が病室に来た。
5月4日
次女が来る
痰が固くなりネプライザー(吸入する)
5月5日
洗髪
5月6日
長男と次女が来る家族写真(を撮った)
夕方テレビを目ぱっちりで見る(痙攣発作だったかもしれません)
瞼で合図あり(意思の疎通は最後になりました)
舌噛みあり(脳の反射神経を腫瘍が犯し始めた)
5月7日
朝、吐く
日中、体に力が入りっぱなし(痙攣発作)
夜、舌を噛み出血
5月8日
抗痙攣剤増える
この頃から長女に触れると痙攣発作が起きてしまうので、見ている事しか出来なくなった。
毎朝の回診時、主治医の先生「のどかちゃん、頑張ってますね。」
そう言われる度に頑張っている長女になんて声を掛けたら良いかわからなかった。
私は長女に奇跡が起きて、長女
だけは治ると信じていたので、私「絶対に治すから!」そう心の底から思っていた。
しかし
『治らない。』『奇跡は起こらない。』
そう理解してから長女に掛ける言葉が わからなかった。
あの時もっと
長女に “大好きだよ”、“産まれてきてくれてありがとう”、“一緒に居られて幸せだよ”
そう伝えれば良かったと今も後悔している。
101. 吸引
5月9日
朝、顔が浮腫む
日中、体調悪い。意識があまり。
make a wishさんが来る
夜、看護師さんが痰をいっぱい取ってくれスッキリ
5月10日
日中、落ち着く
洗髪中も安定
寝て、夕方起きて、ゼロゼロする
夜、呼吸がヒーヒーいって苦しそう。当直医が診てくれた
5月11日
右側しか向けなくなる(右側の気管支が麻痺して、麻痺していない左側の気管支を上にしないと呼吸が出来なくなった)
朝、自力で咳をして痰が出た!スッキリ!
栄養を点滴にしてもらい右足のカテーテルから入れてもらったので、ゼロゼロが減る(経管栄養を辞めたら痰が減った)
5月12日
洗髪
寝ている時間が多いが、しんどくなさそう(呼吸が苦しくなさそう)
この頃には一日中、長女の痰を吸引していた。
取っても辛そうな顔の、取らなくても辛そうな顔の長女をただただ見守るしか出来なかった。
でも長女の痰が絡みゼロゼロしてくると、長女
が“ママ 苦しいよ。痰取って”そう言っているように私には聞こえていた。
私は必死だった。長女の呼吸を確保する為に。
102. 幼い次女と長男の変化
長女の病室に来た次女
は一ヶ月ぶりに長女
と 私に会えた事が嬉しくて、とてもはしゃいでいた。
次女「お姉ちゃんなんで 寝てるの??」
私「具合が良くないから、お薬いっぱいしてるのよ。」
次女「ふーん。なんでいっぱいホース付いてるの??」
長女の体に沢山付いている管が不思議だったのだろう。
間も無く 3歳の誕生日🎂を迎える幼い次女には、長女
の状態は理解出来なかった。
めいっぱいはしゃいで、めいっぱい私に甘えて、笑顔で
次女「じゃあね!」と帰っていった。
次女は幼いながら沢山我慢をしていたと思う。
それでも早く帰って来てね!とは言わなかった次女
幼いなりに長女のただならぬ状態をわかっていたのかもしれない。
そしてこの日一緒に来ていた長男は全く喋らなかった。
いつもお喋りな長男の変化にもっと早く気づいてあげられていたら。
帰宅したら玄関に貼ってありました。
怖がりの三女が保育園で作った鬼👹
全然怖くないですね!
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