長女のこと 111~114:呼吸を確保するために一心不乱だった

111. 最期の望み 臓器提供

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長女おねがいの脳幹グリオーマは脊髄の転移はなく、他の臓器への癌の転移は考えられないと言われておりました。
グリオーマでも ほかの方とは状況は違うと思いますし、現在では臓器移植に関しまして変わっているかもしれません。ご了承の上 よろしくお願いします。
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長女おねがいが再入院してから、夫グラサンは仕事の帰りに病院へ寄ってくれたりしていたが、
時間が遅かったため主治医の先生方とお会い出来る事はほとんど無かった。

ゴールデンウィークに入り、夫グラサンが早い時間に長女おねがいの病室に来ていた。
夫が居るのを見計らって主治医の先生が来て下さったのだと思う。

主治医のS医師「先日ご両親のご意向を聞いて色々調べたのですが、現状では抗がん剤を使用した患者さんの臓器提供は一部を除いて出来ないそうです。

夫と私は愕然とした。

S医師「一部とは角膜です。ただ、角膜を提供する場合眼球ごと摘出する事になりますので、戻ってきた時にのどかちゃんの顔がだいぶ変わってしまうと思います。

みんな長女おねがいの辛そうな顔を見つめていた。

夫「そうですか・・・。少し考えさせて頂きます・・・。」

S医師「ゆっくり考えて下さい。角膜を提供される方は多いそうなので無理されなくて良いと私は思います。女の子ですし。ご両親のご意向に添えず本当に申し訳ありません・・・。」そう 仰って下さった。
いつも優しいS医師が いつも以上に優しく父親の顔に見えた。
後に S医師に女の子のお子さんが居る事を知った。

夫と私の最後の希望は絶たれた。長女おねがいに対する全ての想いが絶望に変わった。
私達夫婦は、長女おねがいの二度目の余命宣告を受けた気がした。
そして、私の中の何かが崩れ堕ちた。

抗がん剤を使わなかったら。長女おねがいに抗がん剤を飲ませなかったら。
でも抗がん剤を飲んだからこそ長女おねがいは3月僅かでも学校🏫に行かれた。

後悔と これで良かったのだ!という気持ちが常に交錯していた。

112. ブログの内容と このころの私のこと

長女おねがいの状態はどんどん悪くなってしまいます。現在闘病中の方や心の元気が減っていらっしゃる方は閲覧注意でお願い致します。
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私は最後の希望が絶望的になった時、あまりのショックに心が自己防衛反応を起こしたようです。
闘病時のことをあまり覚えていなかったのですが長女おねがいの手帳にメモしていた事を見て色々な事を思い出して、ブログに書いています。
4月頃までのことは鮮明に思い出したのですが、5月以降のことはメモを見ても思い出せない事が多いです。
思い出せた事のみ書かせて頂き、それ以外はメモをそのままブログに書くという形にさせて頂こうと思っております。ご了承頂けましたら幸いです。

113. 手帳の書かれていた病状の進行 5月1日~8日

手帳に書かれていたメモ📝は後ほど貼りますが、読みづらいと思いますので記載させて頂きます。
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5月1日
朝、サチュレーションの数値が下がり酸素マスク(を着用する)
日中は安定
夕方、ゼロゼロ(痰が絡んでいた)
お風呂入る

5月2日
貼り薬(魔薬)2倍に(なる)(医療用大麻)
車椅子で院内学級へ
一日中、ゼロゼロ(痰が絡んでいた)
算数(院内学級の先生が病室で教えて下さった)

5月3日
抗痙攣薬が倍になる
洗髪中目ぱっちり(開いていた)
昼、吐く。その後うとうと(寝ていた)
この日息子ニヤリが病室に来た。

5月4日
次女ニコニコが来る
痰が固くなりネプライザー(吸入する)

5月5日
洗髪

5月6日
長男ニヤリと次女が来る家族写真(を撮った)
夕方テレビを目ぱっちりで見る(痙攣発作だったかもしれません)
瞼で合図あり(意思の疎通は最後になりました)
舌噛みあり(脳の反射神経を腫瘍が犯し始めた)

5月7日
朝、吐く
日中、体に力が入りっぱなし(痙攣発作)
夜、舌を噛み出血

5月8日
抗痙攣剤増える

この頃から長女おねがいに触れると痙攣発作が起きてしまうので、見ている事しか出来なくなった。
毎朝の回診時、主治医の先生「のどかちゃん、頑張ってますね。

そう言われる度に頑張っている長女おねがいになんて声を掛けたら良いかわからなかった。

私は長女おねがいに奇跡が起きて、長女おねがいだけは治ると信じていたので、
私「絶対に治すから!」そう心の底から思っていた。

しかし
『治らない。』『奇跡は起こらない。』
そう理解してから長女おねがいに掛ける言葉が わからなかった。

あの時もっと

長女おねがいに “大好きだよ”、“産まれてきてくれてありがとう”、“一緒に居られて幸せだよ”
そう伝えれば良かったと今も後悔している。

114. 姉に会って何かを感じた長男

長女おねがいと歳が 4歳離れている息子ニヤリは 平成24年 5月当時 5歳半だった。

しっかりした 長女おねがいに のんびりしている 息子ニヤリはいつも 色々お世話して貰っていたので、
自由に のびのび弟として育っていた息子ニヤリ

でも長女おねがいが 居なくなってしまったら我が家の 兄として生きて貰わなければいけない。

おねがいが生きる為に必死で 頑張っている姿を見ておいて欲しかった。
一生懸命生きようと頑張っている姉の姿を。

長男ニヤリは 長女おねがいの病気がわかる前はいつもいつもおちゃらけて皆を笑わせていたし、
長女おねがいが発病して私と長女おねがいがある日突然入院してしまった後も、戸惑いを隠す為におちゃらけていたように思う。
長女おねがいの一時退院の時は いつも以上におちゃらけていた。

長女おねがいは 病院🏥の個室に入院していたので、ゴールデンウィークに息子ニヤリを連れてきて貰った。

あの日長女おねがいの病室に入る瞬間までおちゃらけていた長男ニヤリは一ヶ月前と 別人のように具合が悪そうな 姉おねがいを見て表情が一変した。

5歳半の息子ニヤリは姉の姿を見て何かを感じたのだと思う。

それ以降お喋りな息子ニヤリがずっと 黙っていた。

今思えば長男ニヤリはあの日以降 笑わなくなっていた。
正確には笑えなくなってしまったのかもしれない。

あの日以降 長男ニヤリは作り笑いをしていた。

帰宅した後私の母👵「お姉ちゃん 頑張ってた?」
息子ニヤリうん・・・。

私の母👵「お姉ちゃんも お母さんも 早く帰って来てくれるといいね」

息子ニヤリ「・・・。 お姉ちゃんは もう 帰って来ない・・・。」

そんな 会話をしたと私の母から 後日聞きました。

5歳の小さな心で色々な事を考え理解しようとしていたようです。

そんな息子の小さな心に 気づいてあげる事も、寄り添ってあげる事も、当時の私には出来なかった。


ホットブレイク写真です
三女にとって レッグウォーマーはお人形さんの布団のようです😁

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