サチュレーション
サチュレーションとは酸素飽和度を意味する医療用語。
酸素飽和度は、動脈血のヘモグロビンのうち何%が酸素と結合しているかを表したもの。
正常値は95%~99%だそうです。
以上、ブログ管理者調べ。
21. 全員参加の診察
この頃の三女
病院🏥へ行く以外はずーっと自宅のリビングか寝室で過ごしていたので、外に出るのは病院へ行く時だけ。
私も私の母👵が来てくれたら買い物に1時間くらいは出られましたが、夫が三女
今は宅配やネットスーパーもあるので、本当に助かりました。
外に出られる外のご飯が食べられる唯一のチャンスが ”通院🏥” でした。
でも、風邪をひいてはいけない赤ちゃん👶連れなので病院のコーヒー☕️ショップのみでしたが、それでも私にとっては唯一のリラックスタイムでした
そんな引きこもり生活を送っていた三女
病院🏥へ行く度に注射💉か採血をしていました。
血液検査かシナジスというRSウイルス🦠の重症化を防ぐ太ももへの注射💉。
三女
でも泣くと心音が聞き取れない。
https://nodoka-mahalo.com/third-daughter/873/⬆︎にも書きましたが、担当の小児循環器内科の先生は 子どもは好きなのにいつも泣かれていて注射💉しなくても泣かれる。
小児循環器内科の先生「泣いてると心音が聞き取れないんだよね・・・。泣き止むの待とうか・・・。」と。
「いやいや、どんなに私があやしても先生がいたら無理です!泣き止みません!!」って言いたかったのですが、真剣に待ってくれていたので、私も真剣に あやし・・・。
泣き声が小さくなった隙に内診してもらうも先生を見て泣く!を 繰り返していました。
真っ青な顔で 泣いていた三女
汗💦だくであやす私。みんな 必至でした。
22. まだ 大丈夫・・・かな?
酸素吸入していた三女
受診の際には必ずサチュレーションを測定していた。
家でも寝ている間はモニターを付けていたが、サチュレーションの値が低く過ぎて毎晩何回も警告音が鳴っていた。
が、診察の際に事前に看護師さんが測定してくれると、少しでも良い値を書こうとしてくれるので、一瞬でもチラリと高い数値が出たらその値を書いてくれる。
でも私が抱っこして三女
家にいたらそんなシチュエーションまず無い。
寝ていてもそんな数値出ません!って位の値を書いてくれる。
それを見て小児循環器内科の先生「まだ大丈夫・・・かな?」と判断する。
私“いやいや!こんな数値、家では出ませんよ!”ってことで先生に再度測ってもらい、心エコーもしてそろそろ 二回目の手術をという話になった。
体はどんどん大きくなるが、酸素はどんどん足りなくなる。
手術は心配だが、手術しないでいるのも心配。
サチュレーションの警告音が鳴るたびに飛び起きる生活が続いていた。
酸素吸入していた間
ずーっとベビーバスで入浴していた三女
きっつきつでした〜
23. 新生児並み
先天性心疾患で生まれた三女
一度にたくさん飲めないのか酸素のチューブが気になり熟睡出来ないのか、生後半年になっても
夜中は三時間おきに泣いていた。それ以外にもモニターの警告音が鳴る。
更に熟睡出来ない。お互いに。
モニターの警告音ってどんなに小さくしても大きい音なんですよね。
当たり前ですが、警告しているのだから、すぐに気づくように大きな音なんですよね。
そして体が大きくなるにつれて、酸素が足りなくなるのでちょっと泣くだけでも 顔が真っ青になる。
夜中三時間おきの授乳🤱が冬だったという事もあり、本当に辛くて少しでも長く寝てくれるように夜だけミルクにした。
が、ミルクを作る間、当然ですが泣く
三女
夜中に四苦八苦していても、夫は絶対に起きないし!
夫「ミルクは作れない!」と平然と言っていました。
上三人
さすがにミルクを作っている間だけ抱っこしてもらっていたら、三女
今思い出してもあの時私、頑張った!っていう愚痴ブログで本当にすみません
今現在頑張っていらっしゃる方、応援📣してます!
三女
24. サチュレーションが低すぎる
三女
小児循環器内科の先生から
「循環器内科としては『もう二回目の手術をした方が良い』って事を伝えてあるんですが、手術をするのは 心臓外科なので・・・。心臓外科の先生たちは『もう少し待てるなら待って。少しでも大きな血管を入れたい』って考えなんですよね・・・。」
私「もう厳しいです・・・。家では起きていたらモニターの警告音鳴りっぱなしですし、寝てる間も何回も鳴りますし。」
小児循環器内科の先生「やっぱりそうですよね・・・。再度心臓外科の先生に話しておきます。」そう言われた。
サチュレーションは70を切っていた。
以前、小児循環器内科の先生が「80あれば」と言っていた数値を大きく下まわり、動いていると低すぎてエラー表示が出る程だった。
常に顔色が悪かった。あまりのサチュレーションの低さに常に心配だった。
私 “寝ている間にカニューレがズレたら・・・。”心配で熟睡出来なかった。
そして “3月上旬に手術をすることになった” と 手紙が来た。。。
私“いよいよだ・・・。”と少し安心したようなものすごく心配なような、とても複雑な気持ちだった。
ある駅🚉に貼ってありました。
たくさんの方に知って頂けますように。