29. 入院
長女は 脳外科病棟に入院になった。
都内の大学病院の脳外科病棟には子どもは 誰も居なかった。
(入院の付き添いをするなら個室になります。)と言われ病室はナースステーションの真ん前だった。
そこは重症の患者が 入院する位置。
私も 長女も何度も 色々な病院🏥に 入院しているのでわかってしまう事もある。
個室に着いたら疲れがピークだった長女はあっという間に 寝てしまった。
私の母👵は 長男と 次女の世話の為我が家に帰って行った。
入院の為の書類や緊急開頭手術になった場合にすぐ手術出来るよう色々な同意書に 記入した。
長女が寝ると我慢していた 涙がとめどなく溢れてくる。
私が 長女を 元気に産んであげられたらこんな事には ならなかった。私のせいだ。
出産前に脳梗塞の薬💊を飲んでいたし(妊娠の1年以上前には 飲み終えていました)
夫が 結核になった時も予防薬💊を飲んでいたし(妊娠の3年前には 飲み終えていました)
私のせいで 長女が病気になってしまったんだ。自責の念に 苛まれた。
どうして 私じゃなくて長女が病気になってしまったのか。
気づいたら17時過ぎになっていた。
慌てて 病院🏥の外に出て私の職場に電話☎️した。
その日 本当は私は遅番で19時迄の勤務のはずだった。
一緒に組んでいた 後輩が私の代わりに 遅番をしてくれていた。
その週の週末は保育園の運動会だった。
当時 私は2歳児の担任をさせてもらっていた。
とても可愛い子たちで保護者のお母さん方とも仲良くさせて頂いていた。
沢山練習して 楽しみにしていた運動会には 参加出来ない。
いつ 職場に戻れるかも わからない。
職場にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
私「申し訳ありません。詳しく検査してみないと はっきりわからないんですが、 長女は 脳腫瘍で 水頭症になっていて 急死もあり得る状態だそうです」泣きながら なんとか 伝えた。
園長先生は 本当に優しい先生で「こっちの事は 何にも心配しなくていいから 娘さんのことだけ 考えて、 先生も 体に気をつけてね」と言って下さった。
職場も 大混乱だったと思う。
当時 私は 2歳児のリーダーだった。
長女にも 職場にも申し訳ない気持ちで いっぱいだった。
泣きすぎて 私のハードコンタクトは悲鳴をあげていた。
そして夫に連絡していない事に 気づいた。
30. 夫への連絡
当時 私のケータイは ガラケーだったが、夫からものスゴイ数の 心配メールが来ていた。
慌てて電話をかけ 長女の状態を話しをすると
夫「なんでこんな事に なっちゃったんだ。なんで 長女なんだよ。でも 治るんだよね?」
聞きながら 号泣。 私が泣きたいのに 夫が号泣。
私だって 泣きたいのに「先生も『まだ 検査してみないと はっきり言えない!』
って言ってたし。」と 夫を 励ます。
私だって 励まして欲しかった。『大丈夫だよ!』って 言って欲しかった。
でも 夫は 大号泣だった。
私は夫を励まし続けた。急いで 長女の病室に戻ると長女は まだ寝ていたが 病室に 看護師さんが居た。
毎年 毎年 同じ場所の桜の木の下で 夫が写真を撮っていた。
31. 病状の深刻さ
長女の病室に居た 看護師さんは私を見ると
「お母さん 病室から離れる時は 必ず 声をかけて下さい!トイレに行く時にも 必ず!」と
強い口調で言った。 それだけ 長女の状態は 悪かったのだ。
“急死もあり得る”
そう言われても 数日前まで 元気だった 長女がまさか? と 信じられない気持ちでいた。
入院と共に 脳圧を下げる為の 強いステロイド剤の 点滴が始まっていた。
普段なら トイレが凄く遠い 長女が点滴の輸液で トイレが近くなった。
「ママ トイレ行く」起きた長女が言った。
病室には トイレは無く 廊下を 数メール 歩かなければ ならなかった。
長女は 立ち上がれなかった。
点滴の台に 必至で掴まり 私が支えて なんとか トイレに行った。
しかし 尿意はあるのに 排尿出来ない。
長女「やっぱり 出ない。」何回も 繰り返していた。。
それも 病気の症状だとは 全く気がつかなかった。もともと トイレが遠かった長女。
入院前どれ位の頻度で トイレに行っていたのか 全く気にしていなかったが、
長女が 太ったように感じていたのは排尿障害が起きて 浮腫んでいたのだ。
この時には 右目が内側に寄って 眼球異常も現れていた。
10日前に 息子と 次女の 七五三の写真を撮った時の 長女とは別人のようになっていた。
32. ご注意いただきたいこと
現在 ブログに書かせて頂いております長女の闘病記は この後更に 厳しい内容になっていきます。
見て頂けます方ご注意下さいますよう お願い致します。
なるべくお医者様や 看護師さんに 見て頂き長女のような 難病の子の今後の診断や 治療 看護の ご参考になれば。と思っております。
また、万が一同じ病気と診断されてしまったお子様をお持ちの 保護者様に今後の参考にして頂けましたら幸いです。
なお、長女の発病は 2011年です。
当時の私には ブログを書くことは考えられませんでした。
長女のカルテコピー代を お支払いすれば手元に置く事が出来たのですが、闘病中の 辛い事を 見返す心の余裕はなかったので、取り寄せませんでした。
なので、細かな 薬💊の名前、検査内容等は覚えてない事も多いです。
あまりにも 辛すぎると心が 防御反応を起こして忘れたり 思い出せない事があるそうです(退院時の処方薬や メモしていた事等は 確認しながら 書いております)。
大変申し訳ありませんが、上記の点を ご了承の上よろしくお願いします。
何より主治医の先生とよくよく話しをし最愛の我が子にとって何が最善なのかを主治医の先生とご判断する事が1番だと思います。
また、まだまだ否定的なご意見を受け止めるだけの 心の元気はございませんので、
素人の 昔話と温かな目で見て頂けましたら幸いです。
何卒よろしくお願いします。
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