33. 私は かわいそうじゃない! だから 泣くな!
入院当日の夜夫が 慌てて 病室にやってきた。
夫「なんでこんな事になっちゃったんだ。」と 泣いてばかりいた。
夫は 長女を溺愛していた。
長女に 注意したことはあっても怒ったことはない!
小さい頃から 体が弱かった長女を不憫に思っていた 夫は「
俺は 長女には 怒れない!!!!」と 断言していた。 激甘だった。
夫は 常に 長女を心配していた。
その 大事な 大事な長女の命が 危ない。
夫もパニックだったのだと思う。
でも私もパニック。
夫の「なんでなんだよ・・・。 どうして 長女なんだよ。」という言葉が
『母親である 私のせいで 長女が病気になってしまった!』と言っているようにしか聞こえなかった。
不安が 疑心暗鬼を生んでいた。
私だって大声で泣きたかった。
不安を ぶちまけたかった。
夫と一緒に娘の病室に居たら言い合いになりそうだったし、朝から何も食べていなかったので、夕飯を買いに コンビニ🏪に向かった。
真っ暗な道をどこにコンビニ🏪があるのか分からず、迷いながら誰にも会わなかったので、一人大声で泣いた。
暫くして 病室に戻った時には夫の パニックは 収まっていた。
のちに夫が 私に こっそり 教えてくれた。私が病室を出た後オンオン泣いている夫に
長女が「泣くな! 私は かわいそうじゃない! だから 泣くな!」と 怒ったそうだ。
『私は可哀想じゃない‼️』長女が言ったこの言葉が今も常に念頭にあります。
確かに可哀想がられたら哀れみの目で見られたら嬉しいハズがない。
夫と 私は『長女の前では 決して泣かない!』そう決意した!
だが、溢れてきてしまう涙を堪える辛さをこの先 まだまだ 痛感することになった。
34. 様々な検査
入院翌日から 様々な検査が始まった。
長女は 自宅では 色々なことが全く我慢出来なかったが、知らない人の前では 演じられる!
検査でも 嫌だけど、知らない看護師さんや 検査技師さんの前では いい子が 出来る!
かつ、泣いたり、騒いだり、 恥ずかしいことは 見られたくない!長女は そう思っていた。そして 何より 物心ついた時から扁桃腺炎や 中耳炎で 常にどこか痛みがあったので、 痛みに強かった。
小さい頃から なかなか寝なかったのは眠気と共に 痛みがあったから 寝られなかったんだと後で気づいた。(本当に申し訳なかった。)
そんなわけで、 長女は 辛い体で 愚痴一つ言わず注射も 検査も 全てこなしていた。体調が悪いのに加え 疲れもあり、入院翌日 お昼頃に長女が 突然吐いた。
すぐに 吐き気止めの点滴が始まった。それでも 吐き気は なかなか治らなかった。
長女は 日中も よく寝ていた。体調が悪すぎて 起きていられなかったのだと思う。
長女が寝ているのを見計らって脳外科の医師が 病室にきた。
脳外科の医師「お嬢さんは 脳圧が上がり過ぎて吐き気が強くなっています。 ステロイドが効いてくれば吐き気も治ると思うのですが・・・。」と言われた。
青白い顔で 病院のベットに寝ている長女は今まで 見たことがないくらい具合が悪そうだった。
そして、今まで 季節の変わり目に風邪をひいて 熱が上がる⤴️時に吐いて 自家中毒になっていたのはもう その頃 既に 脳腫瘍があったからだ!と やっと気づいた。
なぜ もっと早く 病院で調べてもらわなかったのだろう。
なぜ あんなに吐いていた長女のことをもっと真剣に考えなかったのだろう。
後悔の念が 押し寄せてきた。
長女に 申し訳ない気持ちで いっぱいだった。
変わってあげたい。 私が病気になれば良かった。
なぜ 長女なのか。 そんなことしか 考えられなかった。
しかし後に 早期発見の意味について驚愕の事実を知ることになる。
吐き気止めの点滴が始まり翌日の夜には 吐き気が止まった。
35. リハビリ
次の日からリハビリの先生が 娘の病室にきて リハビリが始まった。
娘の顔は 右側が全く動かず喋ることも 食べることも ままならなかった。
『あ い う え お』母音の 口を動かす 練習から。
10日前まで 元気に学校に通っていた長女とあまりに かけ離れていた。
全く動かない 右側を リハビリの先生が言う通り一生懸命 動かそうとする長女
涙が溢れないように 必至で 堪えた。。
リハビリが始まった!という事は長女の命の危険が 回避されたのでは?と微かな望みを持った。
そして リハビリ2日目にリハビリの先生に 聞いてみた。私「後遺症は 残ってしまいますか?」
可愛いものが大好きで 洋服もこだわり、GAPのモデルオーディションに 写真を送って
長女「モデルさんも やってみたい〜」と言っていた娘。
一年前 gapのモデルオーディションに応募して沢山の子どもたちと一緒にポスターに載った写真
一年後長女がこんな状態になるとは全く予想も出来なかった。
しかし、目の前にいる長女は 全くの別人のようだった。
リハビリの先生「うーん。まだ 検査の結果も出ていないし詳しいことは 主治医に聞いてみてください。」言葉を濁された。
私は 後遺症が残るんだ 直感した。 治らないんだ。 涙が溢れてきた。
長女の前で 泣けない! 溢れる涙を 必至で涙を堪えた。
この時の私は、長女に 後遺症が残ったら どうしよう。
そればかり 考えていた。
長女の病気は そんな状態ではない事を驚愕の事実を 数日後に知ることになる。
しかし 当時の私は ガラケーしかなく、病室は 基本 電源を切って下さい!という状況。
突然の娘の入院でそのまま付き添い入院になったので、検索の仕様もなく娘の病状を 全く理解していなかった。
ただ、あの時 私がスマホを持っていたら、 検索しまくって長女に待ち受けることに 耐えきれなかったと思う。
は検索出来ず 病気の事が 全くわからなかったからこそ娘に 向き合うことが出来たと 今でも思っている。
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