長女のこと:現在の医学では治せません

26. 様々な検査

入院翌日から 様々な検査が始まった。

長女は 自宅では 色々なことが全く我慢出来なかったが、知らない人の前では 演じられる!

検査でも 嫌だけど、知らない看護師さんや 検査技師さんの前では いい子が 出来る!

かつ、泣いたり、騒いだり、 恥ずかしいことは 見られたくない!長女は そう思っていた。そして 何より 物心ついた時から扁桃腺炎や 中耳炎で 常にどこか痛みがあったので、 痛みに強かった。

小さい頃から なかなか寝なかったのは眠気と共に 痛みがあったから 寝られなかったんだと後で気づいた。(本当に申し訳なかった。)

そんなわけで、 長女は 辛い体で 愚痴一つ言わず注射も 検査も 全てこなしていた。体調が悪いのに加え 疲れもあり、入院翌日 お昼頃に長女が 突然吐いた。
すぐに 吐き気止めの点滴が始まった。それでも 吐き気は なかなか治らなかった。

長女は 日中も よく寝ていた。体調が悪すぎて 起きていられなかったのだと思う。

長女が寝ているのを見計らって脳外科の医師が 病室にきた。
脳外科の医師「お嬢さんは 脳圧が上がり過ぎて吐き気が強くなっています。 ステロイドが効いてくれば吐き気も治ると思うのですが。。。」と言われた。

青白い顔で 病院のベットに寝ている長女は今まで 見たことがないくらい具合が悪そうだった。

そして、今まで 季節の変わり目に風邪をひいて 熱が上がる⤴️時に吐いて 自家中毒になっていたのはもう その頃 既に 脳腫瘍があったからだ!と やっと気づいた。
なぜ もっと早く 病院で調べてもらわなかったのだろう。

なぜ あんなに吐いていた長女のことをもっと真剣に考えなかったのだろう。
後悔の念が 押し寄せてきた。
長女に 申し訳ない気持ちで いっぱいだった。
変わってあげたい。 私が病気になれば良かった。

なぜ 長女なのか。 そんなことしか 考えられなかった。

しかし後に 早期発見の意味について驚愕の事実を知ることになる。
吐き気止めの点滴が始まり翌日の夜には 吐き気が止まった。

27. リハビリ

次の日からリハビリの先生が 娘の病室にきて リハビリが始まった。

娘の顔は 右側が全く動かず喋ることも 食べることも ままならなかった。
『あ い う え お』母音の 口を動かす 練習から。
10日前まで 元気に学校に通っていた長女とあまりに かけ離れていた。
全く動かない 右側を リハビリの先生が言う通り一生懸命 動かそうとする長女
涙が溢れないように 必至で 堪えた。。

リハビリが始まった!という事は長女の命の危険が 回避されたのでは?と微かな望みを持った。

そして リハビリ2日目にリハビリの先生に 聞いてみた。私「後遺症は 残ってしまいますか?」
可愛いものが大好きで 洋服もこだわり、GAPのモデルオーディションに 写真を送って
長女「モデルさんも やってみたい〜」と言っていた娘。

一年前 gapのモデルオーディションに応募して沢山の子どもたちと一緒にポスターに載った写真
一年後長女がこんな状態になるとは全く予想も出来なかった。

しかし、目の前にいる長女は 全くの別人のようだった。
リハビリの先生「うーん。まだ 検査の結果も出ていないし詳しいことは 主治医に聞いてみてください。」言葉を濁された。

私は  後遺症が残るんだ 直感した。 治らないんだ。 涙が溢れてきた。

長女の前で 泣けない! 溢れる涙を 必至で涙を堪えた。

この時の私は、長女に 後遺症が残ったら どうしよう。
そればかり 考えていた。

長女の病気は そんな状態ではない事を驚愕の事実を 数日後に知ることになる。
しかし 当時の私は ガラケーしかなく、病室は 基本 電源を切って下さい!という状況。

突然の娘の入院でそのまま付き添い入院になったので、検索の仕様もなく娘の病状を 全く理解していなかった。
ただ、あの時 私がスマホを持っていたら、 検索しまくって長女に待ち受けることに 耐えきれなかったと思う。
は検索出来ず 病気の事が 全くわからなかったからこそ娘に 向き合うことが出来たと 今でも思っている。

28. 思い当たること(初期症状)

長女の顔面麻痺に気づいたのは 2011年9月末 長女 8歳10ヶ月の時でした。

顔面麻痺が起こる前は
 ●発熱時 頭痛を訴えて 嘔吐→自家中毒になる 5歳頃から
 ●疲れやすく 体力がない
この二つは よくある事だと思います。

 ●小学校の眼科検診で 引っかかる 3年生の春(8歳5ヶ月)
 ●太ってきたように感じる
 3年生の5月(8歳6ヶ月)
この二つで 脳の画像を撮った方がいい!と思う お医者さんは いないと思います。

 ●しゃっくりが頻繁に出る 3年生の7月から(8歳8ヶ月)
しゃっくりで病院にかかろうとは 全く思っていなかったです。

 ●身長が 成長曲線外に出る程 小さい 3年生の夏休み(8歳9ヶ月)
身長がなかなか伸びなかったが、夫の両親も 私の父も小柄なので あまり気にしていなかったです。

 ●とにかく 幼い。我慢が出来ない。
これが 私が一番心配していたことです。頭に病気があるのでは?と ずっと心配していました。

なので“脳腫瘍があります と宣告された時“やっぱり。” という思いがありました。
しかし、長女の病気は 私の想像をはるかに超える難しい病気でした。

入院した数日後の金曜日 検査が一通り終わった後、主治医「来週で お父さんが来れる日時を 知らせて下さい」と言われた。

“いよいよ 病名が確定する”慌てて 夫に連絡した。
夫は 月曜日の朝一で 来ることになった。

その週の 週末、夫は朝から 病室に居た。

病室に3人 思い空気が立ち込めていた。
夫が たまたま 夫の実家で貰った新聞に釘付けになった!

そこには大学病院の救急外来で 長女の病気の 可能性のあるある病気の記事が載っていた。超難病で 小児専門の 日本に 数少ない 医師S病院の Y先生のことだった。

記事を 食い入るように 夫と交互に読んで「万が一 長女が この病気だったら S病院の Y先生にお願いしよう!」夫と決意した。

そして 居ても立っても居られない夫はその日のうちに S病院に電話してY先生から「万が一 その病気でしたら 私が診ますので    安心して下さい」と連絡を頂いた。

土曜日なのに、夫の電話を  親身に聞いて下さった Y先生にも 包括センターのMさんにも感謝の気持ちで いっぱいだった。
週末が 途方もなく 長く感じられた。

もし そうだったら。。。 という気持ちと長女は絶対に大丈夫! という気持ちで
不安でおかしくなりそうだった。。。
ただ その時ステロイドの点滴しか してなかったし、緊急開頭手術にも なっていなかったから、もしかしたら 大丈夫なんじゃないか?という 微かな望みを 持っていた。。。

月曜日の朝、遅刻魔の夫が予定時刻より だいぶ早く来た。。。

29. 私たちも 治療した事がありません

カンファレンスルームに呼ばた。

いよいよ 病名が告げられる。長女は絶対に大丈夫!何度も自分に言い聞かせた。。。

中に入ると 50代から30代と思われる男の先生が 3人 座っていた。。。
その瞬間 私は長女の病気が やはり難しい病気なのだと気付かされた。。。

真ん中に座っていた 一番年長であろう医師が ゆっくり話始めた。。。
お嬢さんの頭部の検査を 色々しましたが、お嬢さんの病名は 脳幹部グリオーマという 脳腫瘍の中でも 最も悪性度の高い病気です。 残念ですが、現在の医学では 治せません。
   予後は悪く 個人差はあるものの    平均で 余命1年前後です。

意味が 全く わからなかった。。。

20万人に一人という発症率ですが、   闘病期間が短く、脳外科医でも 、一生のうちに この病気の患者さんに 一人 出会うか 出会わないかの 希少疾患で  この病院に この疾患の患者さんは 今まで 居ません。私たちも 治療した事は ありません。
 他の病院の医師と連携して   お嬢さんの治療にあたりたいと思います。
ただ、完治はできません。死亡率は100%です。
放射線により 一度は症状が回復しますが  その後 確実に 再燃します。この病気には 抗がん剤は 効きません。

お医者さんが 治療出来ないなんて、 治療法が無い病気で 100%の死亡率の病気があるなんて その時まで 全く知らなかった。

長女に未来が無いなんて、来年が無いなんて、 考えたこともなかったし 信じることが出来なかった。

カンファレンスルームで 夫と二人で 泣きまくった。
そして S病院の Y先生にお願いしよう!そう 決意した。
私は Y先生なら 治してくれる!そう信じていた。

なぜなら 新聞の記事に長女と同じ 脳幹グリオーマのお子さんが長期生存している!
と 書いてあったから。

2011年10月14日読売新聞に載った記事です
夫と 私は長女を この先生に お願いしよう!そして 治してもらう!そう信じていた。。。
※現在 Y医師は 都内のJ大学病院に 移られております。

30. 「診きれない」

医師からの 驚愕の宣告を受け
長女を見て 涙を堪える自信がなかった。。。

カンファレンスルームで 夫と 今後について話し合い、泣いている場合じゃない!
辛いのは 長女だ! 絶対に治す!

そう確認して 長女の病室に戻った。。。

看護師さんと一緒に待っていた 長女が「遅いよ。。。」半べそで言った。。。
不安な気持ちで、自分の体に起こっている事にも 不安があるのに、具合が悪いのに、グッと我慢して 待っていた長女

目の前にいる この子が来年には 居ないかもしれない。。。涙が溢れてしまう。。。

私も半べそで「ごめんね。。。」謝った。。。

夫は 急いで S病院に長女の受け入れを お願いしに向かった。。。
間も無く 長女の病室に 看護主任さんが来た。

ちょうど 隣の個室の病室が開いていて看護主任さん「お母さん ちょっとだけ 時間良い?」と 隣の個室に呼ばれた。

カンファレンスで 夫が主治医に「S病院への転院を考えている」旨を伝えていたので、それを聞いたようで、
看護主任さん「娘さんの病気のお話が 主治医からあったと思うけど、 難しい病気で、はっきり言うと恥ずかしい話なんだけどね、ここでは 診きれないと思うの。もし 他に お嬢さんにとって 良い病院があったらそこに移った方が良いと思うの。」そう 言われた。びっくりした。

都内の 有名大学病院で「診きれない」 そこまで悪いのか と ショックだった。

でも あの時看護主任が仰って下さったおかげで何の迷いも無く 転院出来たし、転院先で 長女が とても楽しく過ごせたので、今も あの時 言って下さった 看護主任に心から感謝している。。。

夫が S病院で話を決めて来て2日後に 転院することになった。
絶対に治してもらう!長女は 治る!それしか考えていなかった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました