長女のこと:母のやさしさ 主治医のやさしさ

34. 祖母の思い

案内された病棟は 広い病院の 左側の奥の 4階だった。
小児病棟に入院すると思っていたが血液腫瘍科に 入院することになった。

やっぱり・・・癌なんだ。 改めて 思い知らされた。

点滴をして髪の毛が抜けている 小さな子たちが プレイルームで遊んでいた。
“いよいよ 長女も 治療が始まるんだ!”複雑な気持ちだった。
都内の大学病院に 入院していた時、私の母が 病室に来て「髪の毛 伸びたから 切ろう!  七五三の写真も撮ったし(正しくは 弟と妹の七五三) 入院中 長いと大変だからね!」
と 髪の毛を切る道具 一式持って来ていた。

私の母は以前 介護福祉士として ターミナル病棟で 25年程 働いていた。
色々な患者さんが居て 病室で 髪の毛を切ったりしていた。

長女の病気が 脳腫瘍と聞いて 色々 調べて 長女が 今後どうなるのか わかっていたのだと思う。私は 突然 付き添い入院になりスマホもなく 長女の病気に付いて 無知だった。

私の母「髪の毛を 何箇所かに分けて   一回 結んでから    三つ編みして    下も結んで!」私には 意味がわからなかった。

私「何で そんなめんどくさい事 するの?」
私の母「良いから!   この方が散らからないし!」そう言いながら小さな声で「いつか わかる。」そう言った。

訳がわからなかったが 嫌な予感しか しなかった。
長女の髪の毛は 生まれた時から ずっと 私の母が 切っていた。

その母が 静かに 涙を流しながら長女の髪の毛を 切っていた。
長女の長い髪の毛は 短いボブになった。

35. Y先生のやさしさ

病室は 他に子どもが誰も居ない4人部屋の 窓側だった。

今まで 大部屋に入院したことは 沢山あったが、大人の人と一緒の部屋は 初めてだった。
長女8歳11ヶ月。

イライラしたり 我慢が苦手。(どちらも 病気の症状でした)

同室だったのは20代のお姉さんと 女子高校生。(病室から 高校に通っていた)

長女には なるべく 静かにするように言ってはいたが、時折 イライラが爆発していた。
Y先生が 毎日 朝 夕 回診に来てくれたので
私「子どもたちばかりの部屋に 移動させて欲しい」とお願いしたが、
Y先生「病気が違うので、  ここで お願いします。」優しい先生が聞いてくれなかった。

その時は何で聞いてもらえないのか 全くわからなかったが、Y先生の優しさだったと 後に わかることになる。

36. 母が持ってきたもの

S病院に転院して 数日後私の母が お見舞いに来た。
電車を乗り継いで バスに乗って 往復3時間かかる。

長男(当時4歳11ヶ月)と次女(当時2歳4ヶ月)の世話をしながら、私に 手料理を持って来てくれた。
コンビニで買った物や長女が残した 病院食を食べていた私は突然の母の訪問と
母の愛と 母の味に 涙が出た。

そして 私の母も数日の間の  長女の衰弱した姿を目の当たりにして必死で 涙を堪えていた。
長女が 検査に行っている間に ある物を渡してくれた。。。

私の母「これ 知ってる?」

そう言いながら 渡してくれた物を見て 自分の不甲斐なさ 愚かさに 気づき
長女に 申し訳ない気持ちで いっぱいになった。

37. 将来の夢

私の母が病院に 持ってきてくれた物は長女が 小学校2時生の 3学期に書いた「自分史」という 文集だった。

最後に “20歳の自分へ” というメッセージが書かれていた。

長女  のどか が 20歳の 未来の自分へ 書いたメッセージ

私は 母に渡されて 初めて見た。
長女が自分史という文集を 書いているのは 知っていた。
小さい頃の写真や それにまつわるエピソードを色々 聞かれたから。

でも、書き上がったものを 見たのは 初めてだった。
長女が 恥ずかしがって 見せなかったのかもしれないが、
私が 仕事で忙し過ぎて 見せなかったのかもしれない。。。

きっと絶対に 後者だと思う。
私の母「のんちゃん(長女)の 机を整理したら出てきたのよ。見たら 泣けてきちゃってね。」
長女は 扁桃腺切除の手術を受けた時 色々な病気の子どもたちがいる という事を 目の当たりにした。
隣のベットだった 2歳年上の女の子は先天的な 足の病気で 一生歩けない と言っていた。
女の子「のんちゃんはいいなぁ!元気に退院出来て!私の方が 先に入院したのにのんちゃんの方が 先に退院しちゃう!」

とても仲良くしてくれたので、別れが 辛かったのだと思う。

長女は「自分は 手術したら 元気になれるけど、退院しても 治らない子も いるんだよね。」
そう言っていた。
小児糖尿病がわかったばかりの 2歳の男の子もいた。

低血糖で寝てしまったり、夜中に起こされて ブドウ糖を食べたり、長男と 変わらない歳で毎日 インシュリン注射をしているのを長女は「偉いよね。」と よく言っていた。。

だから 将来 医師になって病気の子を 元気にしたかったのだと思う。
書いた 半年後に 本人に癌が見つかった。
書いた時には もう既に 癌は あったと思う。
そして 何も知らなかった自分が 本当に 恥ずかしかった。

母として何をしていたのだろう。

長女に何をしてあげただろう。
何もしてあげていない。
涙が止まらなかった。

そして やっと やっと決心する。

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