93. 誰のせいでもない
長女に 病気の症状が出た時から
私は ずっと 「自分のせいだ。」 そう思っていた。
妊娠する前に 病気になったし 夫が 結核になった時も 予防薬💊をたくさん飲んだ。
長女は 赤ちゃんの時から 熱を出しやすく 扁桃腺炎を 繰り返していたので
免疫力が 全くない!
と言われていた。
きっと あの時 癌細胞が 増殖してしまったのだと思った。
長男と 次女は 至って 健康。
きっと 長女が 私の悪い物を全部 持って 生まれてきてくれたのだと思う。
もっと元気に産んであげられたら。
なんで 私ではなく 長女なのだろうか。
毎日 毎日 その事ばかり考えていた。
Y医師👨⚕️は 初めて会った時から
Y医師👨⚕️「娘さんの病気は 未だ 原因がわかっていません。
原因がわからないという事は 防ぎようが無いのです。
ご両親 特にお母様方は 自分のせいだ! と ご自分を責める方が多いですが、
この病気は 誰のせいでも ありません。
どうか どうかご自分をお責めにならないでください。」
毎回 そう 慰めてくれた。Y医師👨⚕️は 本当に優しい先生だった。
それでも
刻一刻と 具合が悪くなる 長女を見ると
何もしてあげられない 無力さと
元気に産んであげられなかった事に
申し訳ない気持ちで いっぱいだった。
お花で🌸 少しでも心が癒されますように。
94. 抗がん剤を注入すること
院内学級の 始業式の翌日4月11日から
長女は抗がん剤のラステット💊の3クール目が 始まった。
効いてないと わかっていても 辞める勇気が なかった。
効果がないと わかっていながら
もう カプセル💊を飲み込めない 長女の 経管栄養の中に 抗がん剤を 注入した。
これで 本当に良いのか・・・。
自問自答してみても 辞めたら 長女が居なくなってしまうのでは?
恐怖心に 勝てなかった・・・。
看護師さん「カプセル💊を開ける時は 中の粉末に触れないよう 手袋🧤をして下さい」
そう 言われた。
それだけ 人体に影響を及ぼす薬💊を効いていないと わかりながら
最愛の娘に もう 飲めない状態の娘に 注入していた。
長女は 髪の毛が抜けて 全体的に だいぶ 薄くなってしまっていた。
しかし もう 自分で 抜けた髪の毛を 拾うことも 出来なくなっていた。
院内学級が始まるのを 心待ちにしていた長女が
学級 初日に 長女「今日は しんどいから 学校は お休みする・・・。」
初めて 長女が 弱音を言った。
いつも 前だけ見て 長女「大丈夫!!!」 と言っていた 長女。
あんなに 楽しみにしていた 院内学級を休むほど 長女の体調は悪くなっていた。
もう 座って居られなかった。
長女自身 院内学級に行かれる状態ではないとわかっていたのだと思う。
私「体調が良くなったら 行けば良いよ!」
そう 長女に言いながら 体調が良くなる時は もう来ないのだろう。
そう 気づいていた。
あの時「ちょっとだけでも 行こう!」
そう 声を掛けておけば良かった。
ずっと 後悔することになってしまった。
昨日 体調を崩した私に三女が描いてくれた 絵です
95. トイレ
長女「トイレ 行きたい。」
4月10日頃から トイレに行っても 出ない事が 多くなっていた。
4月11日は
長女「トイレ行きたい。」
20回位 トイレに行ったが ほとんど出なくなっていた。
長女は再入院した際 4人部屋に入院していたが
トイレから一番近い部屋で 部屋の中でも トイレに一番近い場所に居た。
長女のベットから 廊下のトイレ迄 10メートル程。
でも その距離も もう歩けず 車椅子で移動していた。
車椅子に座ったり 立ったりする事も 一人では出来ない状態だった。
トイレに行きたいけど 出せない。
長女のお腹は ステロイドのデカドロン💊の影響と 尿が出せない事により パンパンになっていた。
医師👨⚕️には 長女がそうなるであろう事が わかっていて あの ベットの位置なのだと思った。
闘病中唯一元気だった一月に行った旅行での写真
96. 次は何ができなくなるのか
長女が尿が出せなくなっている現状を伝えると
Y医師👨⚕️が来てくれて 導尿のバルーンカテーテルの説明をしてくれた。
しかし 長女は 拒否した。
私も 帝王切開での出産時にも 造影剤を使って査した時にも 導尿のバルーンカテーテルをしたが 大嫌いだった。
違和感に 耐えられなかった。
だから 長女の気持ちが 痛いほど 理解出来た。
看護師さん「とりあえず お腹がパンパンなので 一回 導尿して 尿を出して
その後 トイレに行ってみてから 決めましょう」
やっと 長女が納得した。
凄い量の尿が 膀胱に溜まっていた。
しかし 脳の神経に絡みついている 長女のガン細胞は
排尿機能の神経までも 犯し始めていた。
尿を出して貰うと ホッとしていたが カテーテルを付ける事は 断固 拒否していた。
翌日
長女も 私も あまり眠れないまま 朝を迎え
さすがに 長女も 尿が出せない事を納得し 導尿のバルーンを付ける事に 納得した。
私は
ホッとした気持ちと
申し訳ない気持ちと
次は 何が出来なくなってしまうのだろうという
恐怖心で いっぱいだった
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