長女のこと:最期がわかるということ

76. この病気を本当に理解する

長女おねがいの病室に戻る前に 看護師さんが 声を掛けてくださった。
Y医師👨‍⚕️から どんな話を聞いたのか わかった上で 声を掛けてくれたのだ。
大丈夫な訳はない。涙が 止めどなく 溢れてしまう。

口笛「娘と同じ病気の子が   この病院に居たら  良かったんですけど。」
看護師さん「以前 居たんだけどね。Sちゃん。その時 ちょっとでも 話が出来たら 良かったんだけど。」

その言葉で 私は 全てを理解した。
長女おねがいがS病院に転院した時 Sちゃんは 個室に入院していた。

院内学級には 4月に撮ったであろうSちゃんの写真が 他のお友達と一緒に貼ってあった。
でも Sちゃんは 院内学級に一度も来なかった。
来れない状況だったのだ。

病棟の廊下で Sちゃんが ストレッチャーのような車椅子♿️に乗って
Sちゃんのお母さんが 一緒にお散歩していたのを 見かけた事があった。

Sちゃんは 写真とは 別人のように 浮腫んでいて
沢山の管が繋がれていて とても 具合が悪そうだった。

そして あの日 私は 遭遇してしまった。
廊下のトイレから 長女おねがいの病室に戻ろうとした時
Sちゃんのお母さんが 小さな男の子の手を引いて
「Sちゃん!なんで!!!」
叫びながら 病室に入っていった。。。

翌日 その個室には Sちゃんの名前は無かった。

私は ずっと その事には 触れられなかった。。。

院内学級のお友達のお母さん達も 誰一人 Sちゃんの事には 触れなかった。
みんな 明日は 我が子だから。

看護師さんに
口笛「Sちゃんのお母さんが 個室に入って行く瞬間を  偶然 見てしまったんです。
娘の最期が どういう状況なのか わかりました。ありがとうございます。」

その時 私はやっと 本当の意味で長女おねがいの病気である 脳幹部グリオーマを理解した。

やっと。

長女は唯一の治療法である 放射線治療後一か月ちょっとで 再燃した。

77. たくさん食べれない

翌日 私の母👵が 娘の大好物の鯛の塩焼きを 一尾 病室に持って来てくれた。
私の両親は 魚屋だったので、長女おねがいは 私の父👴が 炭火で焼く鯛の塩焼きが 大好きだった。
長女おねがいと 私口笛と 私の母👵で 病棟の食堂で昼食を食べた。

大好きな 鯛を食べ ニコニコしてる長女おねがいはとても幸せそうだった。
しかし ゆっくり ゆっくり食べても なかなか 飲み込めなくなっていた。

長女おねがい全部食べたい位だけど  いっぱい 食べられない。

食べたくても 食べられない。
長女おねがいは時間を掛けても 少ししか食べられない事に 悲しそうにしていた。

ステロイド剤の デカドロン💊の副作用で 食欲が増して浮腫んでいたのを 長女おねがいはとても気にしていたが好きなものを 食べさせてあげることが出来て 良かった と 私は思った。

私は 長女おねがいが ニコニコしながら 食べている姿が 大好きだった。

しかし
長女おねがいは 嚥下困難が進行して もう ほとんど食べ物を飲み込めなくなっていた。

程なくして 長女おねがいの様子を見て Y医師👨‍⚕️から 鼻から管を入れる 経管栄養の提案があった。

見た目を気にしていた 長女おねがいが どう感じるか 心配だったが
長女おねがい点滴してたら 院内学級に通えないけど 鼻から管を入れたら(経管栄養なら) 点滴が取れて 院内学級に通えるからそうする!

あんなに気にしていた見た目より 院内学級に通うことの方が
長女おねがいにとって大切なのだと長女おねがいの想いを 痛感した。

長女おねがいのんちゃん   こっち(右側)は あんまり感じないから   (管を入れても)全然大丈夫だよー

私に心配させないよう 強がって言う娘に 申し訳なかった。

きっと 私が 泣いてしまっていたのだと思う。

長女おねがいが大好きな 鯛の塩焼き
今年のお正月🎍は私の兄が 焼いてくれた

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