105. 院内学級に行くこと
Sちゃんの車椅子♿️に乗った翌日
私「車椅子♿️ 借りて院内学級行ってみようよ〜」そう長女に言ってみた。
長女は全く乗り気では無かったが、
私「体調が悪くなったらすぐ帰って来ればいいから!」と半ば強引に車椅子♿️に乗せた。
体調はずっと悪かった。
車椅子♿️の頭を乗せる所にアイスノンを乗せて頭を冷やしながらなんとか院内学級に行った。
酷い頭痛を和らげる為に。
院内学級に通っている子は重い病気の子ばかりだが、その中でも長女はひときわ具合が悪そうだった。
それでも周りの子が勉強しているのをじっと見つめていた。
しばらくすると痰が絡んできて移動用吸引器で上手く吸えず(戻りたい!)と長女が合図したので病室に戻った。
ベットに戻った長女は疲れと頭痛で辛そうだった。
連れて行かない方が良かったのか。私は不安になった。
なぜ学級の先生も看護師さんが長女が院内学級に行けるようにしてくれたのかが、今ならよくわかる。
106. 魔法の薬
Sちゃん特別仕様車 椅子♿️を借りて院内学級に行った後、長女はずっと顔をしかめていた。
私「頭痛いの?」尋ねるともうしゃべれなくなっていた長女は、
唯一動く左手の人差し指で合図してくれた。
いつもならiPodで大好きなDreamsComeTrueの曲を聴いたり、
義姉さんのお父さんから借りたiPadで行きたがっていたディズニー・イースターの動画を見たりしていたが その日は頭痛が尋常じゃなかったようだ。
我慢強い長女が相当痛がっていた。
看護師さんに伝えると「Y先生が『痛み止めを追加しましょう』って言ってましたので。」と言われた。
既に長女は痛み止めを使っていたが 効かなくなっていたのだ。
説明された薬は湿布状の医療用麻薬だった。
もうそれしか長女の苦痛を取り除くことは できなくなっていた。
私「お願い します。」それしか言えなかった。それしか選択肢がなかった。
全身麻痺した娘が苦痛の表情で苦しんでいた。
ただ側に居る事しかできなかった。
“なぜ 娘なのだろう”
“自分の脳幹部を移植できたら喜んで娘にあげるのに・・・”
そんな事ばかり考えていた。
湿布薬が効いてきて夜には痛みから解放された長女がいつものように眠っていた。
翌朝回診時に
Y先生「痛み止めを定時で2種類使っていきましょう。」
長女にとって麻薬は魔薬になった。
苦痛を取り除いてくれる唯一の薬。
翌日看護師さんに「主治医が話があるのでお父さんが来れる時間を教えて下さい。」そう 言われた。
夫が呼ばれる・・・。どんな話なのか怖かった。
夫は翌日慌ててやってきた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190204/17/non-aki-hiyo-kono/0d/a9/j/o1080080914350470312.jpg)
入院して間もなく長女が欲しがって買った手帳
長女が書けなくなってから私がメモした事が今回ブログを書くのに役立った。
そういうことだったのかもしれません。
107. こんなも悲しいことがあるなんて知らなかった
夫と一緒に長女の病室で医師に呼ばれるのを待っていた。
『今度は何を言われるのか』とお互い恐怖心でいっぱいだったと思う。
看護師さんに呼ばれカンファレンスルームに入ると主治医の三人の先生が待っていた。
Y医師👨⚕️「お嬢さんは本当によく頑張っています。しかし腫瘍の勢いが増し、もういつ呼吸が止まってもおかしくありません。もう一度確認しますが 万が一の時は延命措置をしますか?」
夫も泣いていた。
夫「延命措置は ・・・娘の苦しい時期が長くなるだけなので・・・延命措置はしません・・・。」
夫は自分の父親を夫が24歳の時に病気で亡くしていた。
Y医師👨⚕️「抗がん剤のテモダールという薬💊がありますが使ってみますか?」
私「テモダールは使いません。もうラステッド💊も飲ませたくないです・・・。」
私はずっと考えていた。
効果を感じられない抗がん剤という劇薬を長女に注入することが辛かった。
効果がないのに長女の髪の毛はどんどん抜けてしまい あと僅かしか残っていなかった。
可愛い💕ことが大好きな長女のために、私は苦しく生きていく残りの時間ではなく、残りの髪の毛を選択した。
親が最愛の我が子の命の選択をする。
こんなにも悲しいことがこの世界にあるという事を私たちは知らなかった。
Y医師👨⚕️「ご両親の思いは わかりました。脳幹グリオーマという病気は原因もわかっていませんし 治療法も ありません。現在正確はないのです。
だからご家族がご本人の事を思って選んだ事が正確なんです。」
私「長女が苦しいのは ・・・可哀想なので・・・苦痛だけは取り除いて 下さい。」
なんとか言葉を絞り出した。
Y医師👨⚕️「お嬢さんの苦痛は全力で取り除きます。」
夫と私「よろしくお願いします・・・。」頭を下げた。
本当は全力で治療して欲しかった。
でもそれは叶わなかった。
毎日毎日、いつもいつも、祈っていた。
奇跡が起こる事と信じていた。
でも届かなかった。
夫がそのあと全ての望みを託して主治医に私たちの思いを伝えた。
108: 担任の先生
主治医の先生方と話し合いをしたあと、長女の小学校🏫の先生に電話をかけた。
長女の担任の先生は長女が再入院した事を告げると
担任の先生「お見舞いに行っても良いですか?」そう言ってくれていた。
長女は「退院して元気になったら学校🏫で会うから!」そう言っていたので担任の先生には説明してあった。
私「長女は具合が悪い姿を見られたくないようなのですが もう間も無く意識が無くなってしまうみたいですので その時ご連絡させて頂きます。」
そう伝えてあった。
もう その時 になっていた。
唯一動かす事が出来た左手の人差し指も動かせなくなっていた。
声をかけると瞬きで長女は意思を伝えていた。
それも魔薬を使うようになってから寝ている事が多くなっていた。
長女の担任の先生に
私「お時間がある時に一度娘に会いに来てくれませんか?」そう電話で伝えた。
担任の先生はそれだけで全てを理解して慌てて来てくれた。
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