75. 酷くなるしゃっくりの恐怖
旅行✈️先から慌てて 病院に電話をかけると長女の主治医のS医師が出て下さった。
長女にフラつき、嚥下困難、しゃっくりがまた出始めている事を伝えると
S医師「放射線治療後の画像見ても 今の お嬢さんの状態を聞いても 緊急に帰って来た方が良いとは 思わないので、ご家族が大丈夫だったら 当初の予定通りの滞在で 構わないと思いますよ。」
きっともう二度と長女と行けないであろうから。そう 先生は 言いたかったのだと思った。
しかし長女の様子は時間単位で悪くなっているのが見てわかった。
夫にも 電話した。
長女の様子もS医師に言われた事も伝えると
夫「俺 明後日 行くから! やっと行けるから!」と夫も必死だった。
夫だって長女
と旅行✈️に行けるのを楽しみにしていたのだ。
今回一緒に過ごせなかったらもう次はないだろうから。
『最後の旅行になる』覚悟するように行く前から言われていたことだった。
長女にもS医師に言われた事や夫
が楽しみにしている事を伝えると
長女「あと ちょっとだけ買い物したら もう 帰る!」と譲らなかった。
ご飯も ゆっくりしか飲み込めず、しゃっくりも 酷くなっていた。
自分の体に起こっている事への長女の不安は計り知れなかった。
そして長女に起こってしまっているであろう事を考えると私も不安でたまらなかった。
76. 帰る決心
長女の主治医の話と 『最後の旅行を一緒に過ごしたい!』という夫
の気持ちも考慮したが
それでも『もう帰りたい!』という長女の強い思いと刻一刻と全身の麻痺症状が悪化している長女
の状態を考えて、早く帰宅する事を決意した。
飛行機✈️の空き状況もあり、結局夫が来る予定の日に帰宅する事になった。
夫「俺だって みんなと行きたかったのに。 やっぱり 最初から 休みを取って 行けば良かった…。」ずっと 後悔していた。
夫「俺が行く日に 帰ってきちゃうなんて。」と今も後悔していて時折 あの時のことを 責められる。
でも長女は日に日に 目に見えて 病気の症状が出てきて連れて帰って来るのがやっとだった。
帰りは 空港で車椅子♿️を借り機内では 一人で歩けず、手を繋いで やっと移動する状態だった。
あまりに 急に悪くなっていたので、長女の 脳腫瘍がまた 動き始めてしまった事は明らかだった。
当時2歳の次女と、発達に偏りのある5歳の長男
と、パニック症の私の母👵と、9歳とはいえ全身が浮腫んでいた長女
が歩けなくなってしまったら飛行機✈️に乗って帰ってくる自信がなかったのです。
今思えば、夫が来てくれたら長女
が歩けなくなっても夫
に抱っこして貰えば良かったのですが。
言葉が通じない土地で病院🏥に行かなければならなくなったら…そんな不安が私だけじゃなく長女にもあり帰りたかったのだと思います。
どうやって帰って来たのか全く覚えていないのですが、必死の思いで家にたどり着いた時に長女と共に心からほっとした事だけ覚えています。
77. 憂鬱な再開
帰宅した翌日は疲れているだろうから という主治医の計らいで、帰宅した 2日後に長女を病院に連れて行った。
診察室に入ると主治医のY先生「旅行✈️ 楽しかったですか?」優しく 声をかけてくれた。
長女も笑顔で 答えていた。
長女の状態を話すと
Y先生「一応画像を撮って ステロイドは 始めましょう。」
やっと年末に辞められたデカドロンが再開されてしまった。
長女もステロイド💊剤だけは嫌だったようでがっかり😞していた。
副作用による全身の浮腫みが9歳の可愛い💕ものが大好きな長女にとって耐え難かったのだと思う。
私は日に日に 体調が悪くなっている長女にステロイド💊だけで 大丈夫なのだろうか?と、とても 不安だった。
自宅でトイレに行くだけでも一人では歩けない状態になっていた。
一刻も早く そんな思いでいた。
78. 抗がん剤治療 再開
旅行から帰って2週間後に長女と一緒に再度 受診した。
いつものように診察室に入って 主治医と話をした後、長女に
Y先生「看護師さんと 身長と 体重を測ってきてください」そう言ったのを聞いて嫌な予感がした。
長女に席を外させる、つまり長女の前では出来ない話をする、そうわかっていたから。
主治医のY先生の優しさ。ありがたさとどんな話なのかという怖さもあった。
長女が出て行ったのを確認して
Y先生「旅行中の経過も聞いていました。こんなに早く再燃してしまうとは 信じたくなかったですが、やはり お嬢さんの脳腫瘍は 再度 肥大しています。この後 効果が期待出来る治療は無いのですが、抗がん剤が 効く子も いますがどうされますか?」
長女の脳幹部にある悪性度の最も高い腫瘍脳幹部グリオーマは放射線治療で一度縮小していたが、もう既に長女
の頭の中で肥大し始めていた。
やっぱり。そうだと思っていた。
最初に発症した時ももの凄いスピードで日に日に 体調が悪くなった長女
今回も 腫瘍が悪くなって無い限りこんなスピードで 体調が悪くなるはずが無かった。
再び腫瘍の再燃があることは十分理解していた。
しかし再燃までの期間は個人差があり、一年近く腫瘍が静かにしていてくれる子もいる。
長女の腫瘍は放射線治療後約1か月しか静かにしてはくれなかった。
長女が手帳に書いた『2012年は健康に過ごしたい』という9歳の女の子の唯一の願いは 1月半ばでSすでにもう叶わなくなってしまった。
それでも私は抗がん剤にかけていた。
効く子もいる!
うちの子だけは 助かる!
うちの子だけは 奇跡が起こる!
そう 心から信じていた。
だからY先生に 再燃(癌細胞が再度活発になる)したと聞いても効果がない可能性もある抗癌剤しか残されていない と聞いても 抗癌剤がある!やっと 治療出来る!
そう心から思っていた。

長女の小児脳幹部グリオーマは、抗癌剤が効きにくい脳腫瘍で、それでも まだ 効果がある子が比較的多いラステッド💊を飲む事になった。
大きなカプセル💊で嚥下困難がある 長女が飲めるのか不安だったが、抗癌剤を飲ませる事に何の抵抗も無かった。
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